练习日语的最好方式就是使用日语 世界经典中日文对比阅读吉川英治的三国志序

时间:2024-04-27 20:43:41来源:天理良心网 作者:综合

练习日语的最好方式就是使用日语 世界经典中日文对比阅读吉川英治的三国志序


无须赘言,练习《三国志》讲述的日语日文是距今大约一千八百年前的事,然而活跃在那个遥远时代的最典中对比的国书中登场人物,时至今日似乎仍然活生生地在中国的好方各个角落——只要亲身去到中国,与那里上至政要下至庶民形形色色的式使众生有所接触,尤其是用日语世阅读英治关系拉近了之后,便会时不时地让人感觉到其宛若三国故事中出现的界经吉川某个人物,抑或至少身上有某些相通的志序东西。

三国志は、练习いうまでもなく、日语日文今から約千八百年前の古典であるが、最典中对比的国三国志の中に活躍している登場人物は、好方現在でも中国大陸の至る所にそのまま居るような気がする。式使——中国大陸へ行って、用日语世阅读英治そこの雑多な庶民や要人などに接し、界经吉川特に親しんでみると、三国志の中に出て来る人物の誰かしらときっと似ている。或いは、共通したものを感じる場合がしばしばある。

由此可以说,三国时代的治乱兴亡依旧在现代的中国上演着,尽管社会形态和文化形态发生了翻天覆地的变化,但作品中的人物今日一仍旧贯还鲜活地健在于世。这么说,一点也不过分。

だから、現代の中国大陸には、三国志時代の治乱興亡(ちらんこうぼう)がそのままあるし、作中の人物も、文化や姿こそ変っているが、なお、今日にも生きているといっても過言でない。

《三国志》中有不少篇首词和篇尾诗。

这些诗,不惟是记述了庞驳错纷的治乱兴亡的战记、故事,更具有一种令东方人血脉贲张、罡气贯虹的谐畅、音乐以及色彩。

倘使从中将这些诗赞抽掉,则这部被誉为世界级杰作的规模宏壮的作品非但读起来索然寡味,其文学价值也势将大打折扣。

三国志には、詩がある。

 単に尨大(ぼうだい)な治乱興亡を記述した戦記軍談の類(たぐい)でない所に、東洋人の血を大きく搏(う)つ一種の諧調(かいちよう)と音楽と色彩とがある。

 三国志から詩を除いてしまったら、世界的といわれる大構想の価値もよほど無味乾燥なものになろう。

正因为如此,对于《三国志》这部作品,倘使生硬地进行改写或是节译,不仅会让原作的诗味荡然无存,更加堪忧的则是会怅然痛失其中最打动人心的东西。

故に、三国志は、強(し)いて簡略にしたり抄訳(しようやく)したものでは、大事な詩味も逸(いつ)してしまうし、もっと重要な人の胸底を搏つものを失(な)くしてしまうおそれがある。

为此,我没有选择改写或是节译,而是斗胆尝试采用最适合长篇巨制的报纸连载小说的体例来对这部作品进行再创作,并且在刘备、曹操、关羽、张飞以及其他一些主要人物身上都加入了自己的理解和创意。书中随处可见的原著中所没有的词句和对白等,便是我的点彩之笔。

で私は、簡訳や抄略をあえてせずに、長篇執筆に適当な新聞小説にこれを試みた。そして劉玄徳(りゆうげんとく)とか、曹操(そうそう)とか関羽(かんう)、張飛(ちようひ)そのほか、主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。随所、原本にない辞句、会話なども、私の点描(てんびよう)である。

众所周知,《三国志》虽然取材自中国的历史,却并不是正史。作者运笔自如地让历史人物栩栩如生地活跃起来,走进作品中。这部作品描写了自后汉第十二代皇帝灵帝时期(公元168年前后,相当于日本成务天皇在位年代)至晋武帝灭吴的太康元年约一百一十二年间的治乱兴亡,构思之宏大,舞台之辽阔,堪称在全世界的古典小说中也是无与类比的。细细数来,书中登场人物何止成百上千。加上作品中无处不在、扑面而来的旷放雄卓之豪气、凄婉哀切之情愫、慷慨悲歌之辞句、夸张幽约之谐趣、拍案三叹之激烈,娓娓道来,魅力无穷,令读者的思绪情不自禁地闪回至百年间发生在这片大地之上的种种人间浮沉与文化兴亡,转而掩卷深思,感慨不绝。

いうまでもなく三国志は、中国の歴史に取材しているが、正史ではない。けれど史中の人物を巧妙自在に拉(らつ)して活躍させ、後漢(ごかん)の第十二代霊帝の代(わが朝(ちよう)の成務天皇の御世、西暦百六十八年頃)から、武帝が呉を亡ぼす太康元年までのおよそ百十二年間の長期にわたる治乱が書いてある。構想の雄大と、舞台の地域の広さは、世界の古典小説中でも比類ないものといわれている。登場人物なども、審(つまび)らかに数えたなら何千何万人にものぼるであろう。しかも、これに加うるに中国一流の華麗豪壮な調(ちよう)と、哀婉(あいえん)切々の情、悲歌慷慨(こうがい)の辞句と、誇張幽幻な趣と、拍案(はくあん)三嘆(たん)の熱とを以て縷述(るじゆつ)されてあるので、読む者をして百年の地上に明滅する種々雑多な人間の浮沈と文化の興亡とを、一巻に偲ばせて、転深思(うたたしんし)の感慨に耽(ふけ)らしめる魅力がある。

如果换一个欣赏角度来看,《三国志》又可以说是一部民俗小说。作品中所反映出的人间爱欲、道德、宗教、生活,还有作为小说主线贯穿首尾的战争这一主题以及群雄割据等等,无疑就是一幅浓墨重彩的民俗画卷,那充满朝气、奋励不止的众生相,便可以看做是以天地为舞台、伴以雄壮的音乐而上演的一出人间大戏。

見方によれば三国志は、一つの民俗小説ともいえる。三国志の中に見られる人間の愛欲、道徳、宗教、その生活、また、主題たる戦争行為だとか群雄割拠(ぐんゆうかつきよ)の状などは、さながら彩(いろど)られた彼の民俗絵巻でもあり、その生々動流(せいせいどうりゆう)する相(すがた)は、天地間を舞台として、壮大なる音楽を伴って演技された人類の大(だい)演劇(ドラマ)とも観られるのである。

由于时代变迁,原著中出现的地名与现在使用的地名当然有所差异,凡能查证而知的地名我在书中都加了注释,不过仍然有不少旧地名不甚了了。至于登场人物的爵位官职等,根据字面能够推知的一仍其旧,照搬照抄。因为如果用词太过现代,则文字所具有的特殊的色彩和感觉恐会丧失殆尽。

現在の地名と、原本(げんぽん)の誌(しる)す地名とは、当然時代による異(ちが)いがあるので、分っている地方は下に註を加えておいた。分らない旧名もかなりある。また、登場人物の爵位官職など、ほぼ文字で推察のつきそうなのはそのまま用いた。あまり現代語化しすぎると、その文字の持っている特有な色彩や感覚を失ってしまうからである。

原著现存《三国志通俗演义》和《三国演义》以及其他数种不同流变版本。笔者没有完全依据这些版本进行简单的直译,而是各取所长,从而形成了自成一格的《三国》。回想写作这部作品时的情景,笔者一边奋笔疾书,一边脑海中情不由己地闪现少年时代狂读久保天随先生的《新译演义三国志》,半夜三更犹猫在灯下不忍释手,被父亲责骂并逼着上床睡觉的情景。

原本には「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、私はそのいずれの直訳にもよらないで、随時、長所を択(と)って、わたくし流に書いた。これを書きながら思い出されるのは、少年の頃、久保天随氏の演義三国志を熱読して、三更(こう)四更(こう)まで燈下にしがみついていては、父に寝ろ寝ろといって叱られたことである。

说起来,要想咀嚼和品味到《三国志》的醍醐真味,莫过于阅读原著。然而如今的读者恐多会畏惮和止步于其艰涩难懂,同时考虑到一般大众所追求的阅读乐趣也是千态万状、不一而足的,故而斗胆承奉书肆之嘱,将旧作加以修订,付梓再版。

本来、三国志の真味を酌(く)むにはこの原書を読むに如(し)くはないのであるが、今日の読者にその難渋(なんじゆう)は耐え得ぬことだし、また、一般の求める目的も意義も、大いに異(ちが)うはずなので、あえて書肆(しよし)の希望にまかせ再訂上梓(じようし)することにした。







相关内容
推荐内容